記号で言えば愛おしさのピリオド

日々アイドルに現を抜かしています

無題

 

 

 

久しぶりにきちんと見たのが、活動休止の会見で、それをきっかけにまた「好き」という気持ちを思い出している自分にあきれています。

 

私は追うのがしんどくなってしまって、ただ自分勝手にファンという立場から退いただけなのに、休止が決まったとたんに、ファンとしてその日々を思い出していて、そんな自分にあきれています。

「大切なものは無くなってから気づく」ってよく言うけど、まさにそれで、終わりが見えたとたんにその尊さに気づいてしまうんだもん。

 

 

小学四年生の時から好きになり、中学高校は全力でオタクしてた。

一緒にオタクしてた友達4人でカラオケやコンサート行ったときは、本当に楽しかった。嵐という一つの絆で支えられていたんじゃないかな、かっこよく言うと。

 

大学生になったら、追うのが疲れてしまった。

この中途半端な気持ちでファンを名乗るのは、嵐にもファンにも、失礼だと思った。

でも、なかなか決別できなくて、グッズやCDはそのまま取っておいて、他のアイドルが好きになったけど、「私の心の中の永遠の推しは相葉くん」ってずっと言い聞かせていた。

(でも、今日志村どうぶつ園のトリミングを見て、やっぱり確信した。皆さんごめんなさいだけど、相葉くーーん!相葉君てあんなに見てて「相葉くん…」って感じがするのに、犬に対して友達というか赤ちゃん相手みたいに、透き通った心で接しちゃうその姿に、本当に好きになったことが誇らしかった。こんな立場でごめんなさい。)

追う気力や嵐への興味は無くなってしまっていたけど、長い時間信じていた「嵐が好き」という私の気持ちを裏切ることができませんでした。そして、一途に応援している友達やファンの人に、罪悪感を感じていました。

 

 

私は根っからのオタク気質で、一度はまったらそのことが知りたくて仕方がなくて、昔から無駄に凝り性だった。嵐を好きになってから、雑誌や新聞にある、どんなに小さい写真でも全部切り取って、ノートに貼ったり、歌詞は意味もなく全部ノートに写していた。今も昔もそういうタイプのオタクでした。

それが、大学に入学したら、大学の学び方と私の気質の相性がめちゃくちゃよかった。勉強が楽しくて、授業受けて、課題作成にいにいち凝って、バイトして、を繰り返していたら、テレビを見ることも少なくなった。それがきっかけで、「最近の嵐は安定してて、もういいかな」そう思うようになった。

 

 

 

 

 

 

今日、会見の内容をTwitterで漁った。

翔君やニノの隠した爪が、大野君の盾みたいだった。

こんなん見たら、ファンじゃない人でも称賛しちゃうよな。

 

個人的な話ばかりになるけれど、大学入って、バイト始めたら、だいぶ価値観が変わった。

同じ国でも本当に人間は皆違くて、そしてそれを認めることは難しくて。

同じ環境に長い時間いても、ふとした瞬間やあることがきっかけでその人の本性が見えることもある。

でも、それをやんわりと、見なかったふりをしなければいけない場合の方が多い、というのも、なんとなく学んだ。

そうしないと、関係って成立しないんだなって感じた。

もちろん、まだまだ知らないことなんて沢山あるし、私もそうとなんとなくわかっていても、実際悪口を言ったり、心の中で「死ね」とか言っちゃう。

 

他の人を認めるってことは、それくらい難しい。

でも、嵐5人の場合どうだろう。

怖いくらい、そのバランスができていると思った。周りの人に対して、そしてメンバーに対しても。

 

 

大野君が、本当は、ってことも、ファンは感づいていたであろう。

永遠なんてないから、嵐がどんな風に終結するのか、たぶん皆一回は想像していたのではないであろうか。

(これは私の意見なので、怒った方はごめんなさい。)

 

でも、こうやって「いつもの嵐」が出てしまう会見があったから、ファンも、そして嵐メンバー自身も報われてたんじゃないか。

「いつか笑ってまた再会そう絶対」

ファンのツイートが皆これで埋まってて、それが当たり前に出るその現状に、ほっこりした。

 

 

 

この活動休止報道をきっかけに、私みたいに(失礼か)嵐から離れていた人は、どう感じたんだろう。

 

 

ツイートの中に、「人間は象徴を担うものではない」というものがあった。

人がなぜ生きるのか、そして人として生まれたからにはどのような権利があるのか、考えるべきだ。「アイドル」という肩書を一生担う義務はないし、それで苦しむアイドルがいるなら、私はその事実が存在することが苦しい。

 

 

最近無駄にそういう思考に耽るようになってしまって、こういう時間になると、マジで痛いポエマーみたいになってしまうので許してください。

ここまで読んでくれた人がいるとは思えませんが、私は本当に大学に入って、価値観や物の見方が変わったし、それでもまだ未熟で、これから育っていきたい。

 

嵐の活動休止という事実が、私の「思考」をまた育ててくれたと思う。

こんな形で、本当に申し訳ないけど、ありがとう。

 

 

最後に、私が全オタクに言いたいのは、自分を犠牲にしてまでオタクするのは間違っているということ。実際に私が嵐オタクを卒業して気づいたことです。

当時の自分を否定してるわけではなく、むしろ当時の自分がとても誇らしいけど、お金に限らず、自分のために費やす時間が必要なんだ、と感じるようになった。

誰も番組を全部追うことや推しの行動をチェックすることを強制なんてしていないから。自分のペースって大事ね。

 

そして、オタク最高、ということ。

自分の好きなものに一直線な人、大好き。私もそうなりたいです。

 

 

2019年

 

明けましておめでとうございます。

 

結局初めての投稿以降更新することなく終わってしまいました。

やっぱり余計なことをしようとすると続かない。

本当にガチで割とマジでこの性格直したい。

 

 

新年を迎えることにあまり興味がなくて、

年号が一歳年を取るだけで、結局私にとっては新しい一日が始まるだけだし、

と思っているから。

正直みんながカウントダウンしてウキウキしているのを見ても、

ふーん、としか思えないという結構ひどい考えを持っていると思う。

 

でも私の好きなアイドルが

冷たく笑って明けましておめでとうを言わないように、

というようなことを言っていたとある人が言っていた(私が大好きなブログを書いている人)。

 

正直それをどういう意味を込めて言っているかはわからないんだけど

なんとなく、感覚で「なるほど」と思った。

 

 

新年って、インスタグラムを見ていたら、みんな新年のあいさつと共に

新年の目標とか書いていた。

 

目標…。

 

私は計画とか目標を立てるとか、そういうのがものすごく苦手だ。

私は自分のことなんてちっともわからないし、今の自分もわからないのに、先のことなんてわかるはずないし。

 

毎回、夏休みとか春休み前に、

「この休みこそ勉強する!英検取る!」とか言っているくせに、

気づいたら私の夏休み、バイトと睡眠とYouTubeSNSで終わっている。

 

 

できない。

目標とかできない、立てられない。

 

自分を奮い立たせるとか、やる気マンマンになるとか、

本当に無理だ。

 

しかもすぐ飽きる。

一回「よしやろう!今すぐに!」と思わない限りアクションに起こせない。

 

しかも本当にその瞬間じゃないとできない。

少しでもその瞬間が過ぎると、やる気が急に消える。

 

そして私の最も最悪な点が、無駄に凝り性なところがあるところだ。

 

別に細かい性格ではない。

(むしろだいぶ雑だし整理整頓とかできないダメなタイプ)

 

でも、どうしても、なんとしてでも「こうしたい」というこだわりがある。

 

 

例えば、トイレのドアが少しでも開いているのが無理、とか

これはこの位置じゃなきゃ無理、とか。

 

それもあって、私は絵とか何か作るのが好きなんだけど、

「絶対にコレは入れよう」とか「この色もしくは形を入れよう」とか思ったら

本当にそれを動かしたくない。

 

だから、人にちょっとでもそれをけなされたり、直されたりすると、

急激にやる気がなくなる。そしてふてくされてやめる。

 

 

 

…自分の性格最悪すぎて涙出てくる。

 

私の悪いところは本当にこういうところで。

人の意見とか趣向とか、表向きではポジティブにほめたりやんわり表現したりするけど、本心でそんな風には思えないし。

すぐに顔に出るから、ちょっと心を許した人とか慣れている人にはすぐばれる。

 

 

自分で書いてて最悪な性格だということはよくわかった。

 

話が脱線したけれど、私が目標を立てるとするなら、

自分、人を許せる人間になりたい。

そして、楽しく"頑張って"過ごしたい。

 

「許すこと」については、とても大切だと考えている。

 

意見や価値観の違う誰かや、自分にとって最悪な人、いやなことをされた人、

それらを許すことの難しさったらありゃしない。

 

私は本当に最悪なことに、他人にせっかちなので、バイトしてても買い物していても、ノロノロ行動したりマイペースな人が苦手だ(でも自分もしがち。ゲロ。)。

 

でもそれがその人なわけだし、認めたい。

「クソ」とか思わず寛容になってみたい。

 

 

 

 

そうは思うんだけど。

無理そう。

 

だって私の性格、上に書いたこのひどさよ。

絶対無理や。

結局今年も、バイトでノロノロしている同僚にイライラして、

真顔で「早くやれよ」アピールしちゃうんだろうな。

本当ごめんなさい。

たまに終わってから、「なんで自分こんなにあの人のこと拒否ってるんだろう」ってすごい落ち込んでる。

 

だがしかし、治らん。

無理だと思う。

 

 

だからこそ。

私は自分も許せるようになりたい。

 

こうやってブロガー気取りで自分の考えとか書いて、

バイトや学校が終わった帰り道やお風呂の中、寝る前にポエマーみたいに考え事をする。

今もそんな時間の途中である。

 

ちょっと先の自分が見たら、こんなんマジキモイ。

考えることが好きなん、マジキモイんだろうな。

 

 

まあ、それでもいいや。

ダラケん坊で、飽き性で、超熱しやすく超冷めやすく、無駄に凝り性で、

自分に甘く他人に厳しい、自分が優先な私でもいいや。

 

そう思える日が来ますように。

 

 

 

そして、二つめに、とにかく頑張って生きたい。

 

私にとって「頑張る」ことは大きな壁である。

 

自分を奮い立たせられないし、自分がなんだかんだいって一番だと思っているから、

ロールモデルとかきっとできない。

から、モチベーションも上げられない。

 

自分のしたいことは一人でしたいタイプだし、

大勢の中でワイワイとか、どちらかというと苦手だ。

(時間の無駄とか思っちゃう、本当にひどい性格)。

 

だから、楽しい時間を過ごすために頑張ることが、楽しく生きるために頑張ることが

とても大変だ。

 

 

でも、今年は、

ちょっと頑張ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(このブログも一日一投稿はしてみたい)。

 

 

初めに

 

 

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。

(中略)

本当にいま必要なのは、名言などではない。

むしろ、平凡な一行、一言である。 

だが、私は古いノートをひっぱり出して、私の「名言」を掘り出し、

ここに公表することにした。

まさに、ブレヒトの「英雄論」をなぞれば、

「名言のない時代は不幸だが、

名言を必要とする時代は、もっと不幸だ」からである。

 

寺山修司 『ポケットに名言を』

 

この本に出会ったのは、ささいなきっかけで、かっこいい理由を考えることもできない

角川文庫が出している、手ぬぐい店「かまわぬ」とのコラボ表紙がかわいくて、集めようと思っただけであった

しかも、薄くて読みやすそうだった

 

しかし、私はこの本、寺山修司がきっかけで、言葉の美しさに気づくことができたと思っている

昔は、「なんで勉強しなきゃいけないんだろう」とか思っていたし、本を読むのは中学生になって好きになったのであるが、オバカな女子校にいた私の周りには読書家はいなかったから、本好きってかっこいいと思っていたところも正直あった

でも、本を読むことでほかの人の考え方を知ることができる、言葉の美しさ、言葉として表現される日常のモノ・コトのきれいさに気づくようになった

(比較的最近、というか大学生になってからだけれども)

 

前に引用した部分は、私の名言集の表紙に書いたものである

(寺山修司にならって私も自分が好きな言葉を集める名言集を作ってみた)

自分にとっての名言とは何か、改めて考えてみると、案外偉大なものや壮大なものはない

むしろ、日常でふと感じることについて、やんわりと言葉にしてくれているもの、そんなものが多い

であるからこそ、言葉は友人にできるものなのである、そう思った

 

 

私はオバカな大学に通う学生、文章を書く力はおろか、常識も十分に備わっていないし、時事だって何も知らない

この長い夏休みもボケーっとバイトして寝てYoutube見てしかない

(勉強したい気持ちはある)

文章を書いてみたいと漠然と思っただけで、そのための勉強もする気にはならない

ただ、私は自分が思ったことを、何らかの形で残すべきなのではと思ったのである

それが、ブログであった

ただそんな理由で書いているだけなので、文章がおかしかったり、まとまりのない、しょうもない文章でも気にしないでほしい

私は私のため、私の感じ方を全く知らないだれかに見てほしい、という少しの欲望のために書いているだけなのである

 

ゼミの先生が「~だ」は日本語として正しくないと言っていた

だから「~である」で必ず置き換えている

「~だ」は「~である」が口語になっただけらしい

 

個人的に句読点は嫌いである

いちいち「。」がつくと、「終わりの地点」が文章の中にたくさんあるように見えて、私の話はまだ終わっていないぞ、と思わず突っ込みたくなるからである

 

 

私はなにかを継続すること、計画を立てること、習慣つけることが苦手である

ほかの方のブログを読んで、いいな、私も思ったことを書き留めたいと思って始めただけで、

私の気分がのらなければこの記事だけで終わるかもしれないし、一日に何個も書くかもしれないし

 

でも、それでいいかなと思う

続かない性格が私のものなわけで

 

極力がんばろうとは思うけれども