記号で言えば愛おしさのピリオド

日々アイドルに現を抜かしています

コロナ疲れ、もしくは人生疲れ

 

私は疲れている

 

 

 

「何に?」、と言われると黙ってしまうが、私は疲れているのだ。

 

私はまだ20年ぽっちしか生きていないプータラ人間だけど、一丁前に疲れは感じる。

 

仕事が終わった後「今日も疲れたー」とソファにボフッとダイブする。

授業が終わって隣の席の友達と「疲れたわ」と荷物を片付けながら言い合う。

慣れない筋トレをして、火照った体と滲んだ汗と共に「疲れた」と思う。

 

 

私たちは常に何かを消費して生きている。

その結果が「疲れる」ことならば、しなければいいのに。

 

 

 

 

数ヶ月前の自分が、今のような状況になっているなんて思ってもいなかっただろう。

数ヶ月前、1月くらいに遡ってみる。

 

期末試験とレポートに一杯一杯だった自分。

満員電車に乗って朝から学校に向かうのは本当に嫌だ。

帰りも帰宅ラッシュに被ると、たった10分の区間でも降りるとものすごく疲れた。

 

今の自分は?

 

マスクをしたお客さんに料理を出し、会計をし、テイクアウトのお弁当を包む。

バイトは前に比べてシフト時間が格段に減ったし、お客さんが店内にいない時間も増えた。

 

11時頃目が覚めて、昼ごはんの時間まで布団で3度寝か4度寝する。

寝っ転がりながらあつ森で1日のノルマをこなし、筋トレをする(ここ1ヶ月で身についた習慣。脚が前よりも引き締まったから嬉しい)。

バイトがある日は早めに夜ごはんを食べて、バイト先について、暇な時間を過ごす。

家に帰ってきてお風呂に入って、スマホを3時過ぎまで見て寝る。

 

 

何もしてない。

何もしてないのに、疲れた。

 

 

 

今の私は正直疲労でいっぱいだ。

 

 

 

最近カメラロールを遡って、昔の写真を見るようになった。

 

数少ない友達と出かけた先で撮った写真を見ると、「私何で生きてるんだろう?」と思う。

 

過去の思い出を見ても、何も感じなくなってしまった。

元から過去に囚われるタイプではないけど、今までの人生を振り返ろうとするたびに、「今って何のために生きてるんだ?」と考えてしまう。

 

 

私たちは何のために生きているんだろう?

 

今日だって、私がした一つひとつの行動は、何のためにあることなのか?

あの日ディズニーランドに行って遊んだことは、誰のために、何のためになっていることなのか?

 

私が家に入ってきた虫を窓の外に出したことも、私がトイレに行ったことも、ご飯を食べたことも、友達とコンサートに行ったことも、結局何のためになっている?

 

どんなに私が「楽しかった」と思ったり、大切な思い出として心の中にしまっておいても、そのこと自体が何に還元されているのか?

 

 

そうやって考え始めてしまうと、私は限りなく疲れてしまう。

 

これは、テストで一杯一杯だった時の疲れとも、電車に乗った後の疲れでも、筋トレした時の疲れでもない。

 

名前がないから、コロナ疲れとでも適当につけておいてやろう。

 

 

 

私はもうこの疲れにこりごりしている。

 

自分が消費しているとは思えない何かが原因で、こんなにも疲れてしまっていたら、私の人生はお先真っ暗だ。

 

いつまで続くかわからないこの状況で、私がするべきことはたくさんあるけれど、本当に疲れた。

 

ただ、私は図太い神経を持っているので、私の本能は"これを機に頭を使え!この状況以前に問題がないとでも言うのか?"と叫んでいる。

 

 

 

まだ生きて生きて生きて、疲れ続けなければいけないみたいだ。

 

 

『82年生まれ、キムジヨン』を読んで現役女子大学生が感じたこと

 

 

私には3歳上の兄がいる。

 

兄は小さい頃から母に期待をかけられ、小学校低学年から塾に通い、そこそこのレベルの学校に進学した。

一方の私は、集中力がなく何かを続けるのが苦手で、小さい頃から勉強が出来なかった。兄と同じ塾に通ったが、成績もそんなに良くなかった。しぶしぶ受験勉強をし、偏差値別学校一覧のポスターのFランクにも載らないくらいのレベルの私立女子校に進学した。

 

兄は中学、高校、大学とエスカレーターで進学した。しかし、大学の勉強が合わず苦痛だったようで、休まず通っていたにも関わらず2回留年した。

私は中学、高校と同じ学校で過ごし、大学は自分が学びたかった学科がある、いわゆるFランクの大学に進学した。学校自体のレベルは低いが、大学の学びが楽しくて仕方なく、今までの自分からは想像できないくらい成績が伸びた。そして、ありがたいことに学校から成績優良者として給付金をいただくことになった。

 

私は、兄より勉強が出来ない。

でも、私に何も強みがない、というわけではない。絵を描くのが好きで、中学生の時全国コンクールで賞をいただいた。大学の文化祭では実行委員に所属し、幹部として役目を果たした。大学1年生の時からオープンキャンパスや学内活動に参加し、成績に加えその点が評価され、給付金をいただけることになった。こうやってやりたいことを出来ているのは、紛れもなく家族のおかげである。

 

私の家族は割と協力的だ。

小さい頃は、絵が好きな私のために道具や教材を買ったり教室に通わせてくれたりした。アイドルが好きな私のために、母はCDやDVD、グッズも買ってくれたし、パソコンや携帯も与えてくれた。今も、自由に勉強やバイトをさせてくれるし、大学院に行ってみたら、と提案してくれたのも母だ。

私自身、兄に比べて昔から期待されていなかったので(勉強や習い事の無理強いは兄ほどされなかった)、割と自由に生きてきたと思う。だからこそ、今の自分があると思うし、自分自身満足している。今こうやって自分が好きなよう生きていること、こうやって本を読んだりブログを書いたりオタクしたりすることで、自分の心は満たされている。本当に恵まれていると感じている。それに、こうやって日々何について考えて、思想を広げらている、こんな自分が好きだし満足している。私が私として生きられていてよかった、と思うのだ。

 

 

こうやって思えるのも、家族の支えがあってこそだ。

 

でも、最近、家族に対して嫌悪感が湧くことがある。

 

 

私は小さい頃から父が家にいない。母と父は仲が悪く、ずっと父は遠方に住んでいる。日中働く母の代わりに、一緒に住む母方の祖母がずっと、そして今も面倒を見てくれている。実質母子家庭みたいなものだが、母と祖母のおかげで不自由なく過ごしてきたし、むしろ割と豊かな生活をしていると思う。よく、これを知った人は「かわいそう」というような反応をするが、私は自分がかわいそうな子だと思ったことはないし、むしろこの家族でなかったら、ここまで好きに生きてこれなかったとも思っている。

 

私の母は、子どもを産んでも仕事を続けた。そして家庭においては、テレビや機器の接続とか、家具の組み立てとか、今や「父親の仕事」とされていることも、母が全てやってきた。

祖母は、10代の頃から働き家にお金を入れ、75歳になった昨年パートの仕事をやめ、初めて「無職」になった。祖母は世話好きのお人好しで、孫のため、娘のためと働き続け、日中の家事や食事の準備を全てしてくれる。

 

私の家族であるこの2人の女性は、どちらも夫と距離を取った。

詳しくは知らないが、祖母は夫(私の祖父)と離婚している。心優しい祖母が決断したのだから、祖父は相当とんでもないことをやらかしたのかもしれない。

母は私が生まれる前から、父に嫌悪感を抱いていたようだ。「あいつはこういう時も何もやらないんだよ」「家事とか全然やらないし、ご飯が勝手に出てくるのが当たり前のように思ってる男だから」母は父についてそういうことしか言わないので、父に対する私のイメージはずっとそれだ。

 

私の祖母と母はすごい。

特に祖母は、今よりも女性への偏見があったであろう時代に、フードコートにある一件の店のパートから、フードコート全体の取締役になったそうだ。母は育休を取った後、職場を変えず仕事復帰した。私から見て、祖母と母は「社会的に」抑圧されていなかったし、何にも屈することなく強く生きてきた人だ。

 

私はそんな母と祖母を見てきたからか、あまり女性が社会において苦しめられていることについて理解が出来なかった。しかし、大学でジェンダー学の授業を受けて、自分の概念が根っこからひっくり変える感覚を受けた。

 

家で過ごすのが嫌だと感じることが増えたのはそれからだ。

 

 

祖母はいつもご飯の支度をしてくれる。「手伝って」と祖母が声をかけるのは私。兄は出来上がりそうなタイミングでノロノロとやってきて、まだ支度が終わってないのに先に出来ているものを食べ始める。大皿におかずが残った時、祖母は必ず兄に声をかける。そのあと私に声をかける。母が「たまには茶碗片付けなよ」と兄に言っても、兄は知らんぷりする。祖母は「いいよ、やらせなくて」という。私が中学生のころ、母は「今日くらい茶碗洗いなさいよ」と言い、祖母も「いつかやるんだから練習しておきなさい」と言った。

 

 

なぜ、料理の手伝いの時呼ばれるのは私なのか。

なぜ、兄は皿洗いをしなくてもいいのか。

 

 

私は兄よりも成績が良いし、大学である程度の実績も残している。劣っている訳ではないのに、雑用を言いつけられるのは大体私なのだ。

 

 

 

家に限らず日常でもそういった違和感を感じるようになった。

 

私のアルバイト先のとんかつ屋に、「レディースランチ」というメニューがある。

脂肪の少ないヒレカツ、アスパラ巻、エビフライのセットだ。

先日、お年寄りの夫婦が来店し、旦那さんが「男だけどこれ食べてもいいかね」と言って、少し恥ずかしそうにレディースランチの写真を指さした。会計をして店を出る時、「今日はわがまま言って注文して悪かったね、おいしかったよ」とお辞儀をしながら帰っていった。私は「気にすることないですよ」と、ただ一言それしか言えず、ただただ切ない気持ちだった。

 

 

 

祖母は家族の日用品を買ってくる時、兄には青、私にはピンクのものを選んでくる。

洗面所のタオルの色は兄は水色だし、私のはピンク色だ。

 

私は恐ろしいことに、こういった「価値づけ」に何も思わずに今まで過ごしていた。

 

「女の子は野菜が好き」「女の子はピンクが好き」

 

誰が決めたのか。

 

私は野菜が嫌いで肉が大好きだ。私はズボンが好きだし青や黒が好きだ。

男性でも野菜が好きでピンクが好きな人はいる。

「女の子だから」「男の子だから」

この一言で苦しめられている人がこの世の中にどのくらいいるのだろう。

 

 

 

 

 

そして、私が絶対に忘れられないし忘れたくないと思ったエピソードがある。

大学1年生の頃、同じ学科で知り合ったばかりの同級生と一緒に電車で帰った。

私はメイクにあまり関心がなかったので、当時ほとんどお化粧をしていなかった。服も無地が好きで、暗い色でまとめ、ズボンにスニーカー、リュックみたいなカジュアルなものを着ていた。

彼女は私の外見をじっくり見ながら、「女の子なんだからスカートとか履いてみたら?」「お化粧しないの?ピンクのアイシャドウとか似合うと思うよ!」「リュックって邪魔だしオシャレじゃなくない?コーチとかのショルダーバックの方がかわいいよ!ほら皆持ってるやつ!」と天真爛漫に言った。

将来の話になった時、彼女は「キャリアウーマンになりたいな!営業行ってさ、オシャレなランチして。彼氏とっつかまえて結婚したらさっさと辞める!」と目をキラキラさせながら言った。

 

電車を降りて彼女と別れた後、私は虚無感というか悲しさというか、怒りではない、そういう感情だった。

悔しかった。自分の存在意義が、こんな形でズタズタにされてしまうんだ、と。

これから過ごすことになるこの広い世界では、こうやって私の好きなものが意図せず否定されてしまうのかもしれない。そう思った。

 

一番悔しかったのは、彼女は悪くないということだ。

これは誰も悪くないのだ。

 

「女の子はこう」という価値観が私以外の女の子もしくは男の子を支えてくれているかもしれない。「かわいくあることが女の子の正義」「男はかっこよくなくてはいけない」、こういった価値観は間違いでも何でもない。皆自分が思うように、好きなように生きればいいから。

 

だから、彼女が私に言ったことは、何一つ間違ってもないし、悪でもない。自分が思ったことを人に言う、当たり前のことだから。

 

でも、やっぱり悔しかった。

同い年で同じ大学にいるのに、彼女によって、いや、そういう価値観によって私は私の存在意義を揺さぶられてしまった。

彼女は彼女の言ったように生きればいい。私は私が思ったように生きる。

ただ、彼女は私にあまりにも純真な、キラキラした目で私に言うから、それが悔しかったのだ。ああ、日本はそういう社会なのかもしれない、と。

 

 

 

『キムジヨン』をカフェで読了し、その足で本屋に行ってみた。

ビジネス本のコーナーを見ていて、ふと目に入ったのが『職場の女子のトリセツ』という本だ。

 

「こんな男の言葉と行動が女性に嫌われている」

「こんな面倒な女がご機嫌になる対処法」

「女性をご機嫌にするこんな行動」

 

バカにしているのか。素直に感じた。

 

棚を変えると「女性向けエッセイ」のコーナー。

「素敵なオトナ女子になるためのルール」「モテるためのテクニック」

そんなような言葉があふれていた。

 

 

とても悲しかった。

『キムジヨン』を読んで尚更そう感じた。

 

 

キムジヨンの人生は、読んでいて自分のことのように感じる場面があった。

 

これ、私の大学の友達が読んだらどう感じるのかな。

母や祖母が読んだら何を思うのだろう。

あの日電車で一緒に帰った彼女が読んだらどういう感想を抱くのかな。

 

自分自身の感想というより、私の身の回りの人がどう感じるのか、そっちの方が気になって仕方がなかった。

『キムジヨン』には、私が感じていた「おかしなこと」がたくさん書かれていた。

この本は私の感じていたことを認めてくれた、そして他にも「おかしい」と思う人はいるんだ、という安心感を与えてくれた。

 

 

 

 

この社会はおかしい。

 

私は私として生きる権利があるのに、それを認めてようとしてくれないモノが少なくとも存在している。

 

「女だから」子どもを育てるために仕事を辞めなきゃいけないのか。

「女だから」家事は全てやらなきゃいけないのか。

「女だから」出世を望んではいけないのか。

「女だから」男性の影に隠れ、後ろから支えなければいけないのか。

 

結果的にキムジヨンは救われたのだろうか。

キムジヨンはカウンセリングを受けて救われたのか。

 

誰か1人が変わろうとしても、他の人、そして社会が変わらなければ、それはただのちっぽけな抵抗にしかならない。

私たちが訴えても訴えても、社会全体の意識が変わらないと、私たちが救われる社会は無いのかもしれない。

 

 

 

私は今まで、勉強もせずにお気楽に生きて来た。

 

今この歳になって周りを見ると、私には「不思議なこと」しか見えない。

 

これから自分が生きていく社会が、こんな「不思議なこと」で溢れてていいのか。

 

 

私はまだまだ勉強が足りないし、こうやって文章を書いてても、自分で何を言いたいか全くわからない。

ただ、『キムジヨン』を読んで、何事もよく咀嚼し、自分の脳で考え、「おかしい」「不思議だ」と思ったことは言うべきなんだ、そう思った。

 

 

そして、もし今の社会に溢れている「おかしなこと」に苦しめられている人がいるならば、そんなの気にしなくていいと言ってあげたい。

 

私はまだ未熟でミジンコみたいに小さな存在だけれど、それだけはわかるのだ。

 

 

 

『82年生まれ、キムジヨン』は私の考えを支えてくれた。

私も同じように、誰かを支えてあげられるような文章を書けるようになりたいし、全ての人が「自分らしく」生きられるような社会に貢献してみたいと思った。

 

 

 

リメンバー・ミーについて

 

先日、地上波で初めてノーカットで『リメンバー・ミー』が放送されたそうな。

私はリアルタイムで見ていませんでしたが、Twitterで話題になっているのを見て、昨年自分が所属していたゼミで書いた論文のことを思い出しました。

 

私は小さい頃ディズニー・ピクサーの作品を見ることが無く(親があまり興味がないらしい)、私自身高校生くらいからキラキラした(?)フィクション作品があまり好きでなかった。

 

そんな私が『リメンバー・ミー』を見ようと思ったのは、たまたまCMを見て「色きれい」と思ったから、ただそれだけである。それに、少し調べてみたら、メキシコが舞台になっているとわかり、メキシコの装飾品や文化に興味を持った。見る前は、まさか、こんなに好きになる作品とは思っていなかった。

 

そして、これを見た時、ちょうどゼミの発表で扱う作品を探していて、見終わって「これにしよう」と即決した。

ゼミで発表とレポート作成をしたものの、それ以来レポートを人に見てもらう機会もない。今まで学校で書いてきたものの中で、1、2を争うくらい書く過程が楽しかったので、折角だからここに供養しておく。改めて読むと、文章も考察も未熟だとは感じるが、私のヒヨコ脳で必死に書いたので、良しとしよう(ポジティブ)

 

 


1.はじめに
 『リメンバー・ミー』は、ピクサー・アニメーション・スタジオによって製作されたアニメーション映画である。世界初公開は2017年11月22日、日本では2018年3月16日に公開された。
 
2.あらすじ
 主人公ミゲルは、ミュージシャンになることを夢見ている靴屋の男の子である。しかし、ミゲルの家では音楽が一切禁止されていて、ミゲルはその夢はおろか、音楽をすることさえも家族に認められていない。
 メキシコには亡くなった家族を迎え入れる行事、死者の日がある。その死者の日の朝、ミゲルは靴磨きをしに町の広場へ行き、そこで死者の日の音楽コンテストのことを知る。ミゲルは夢をかなえるためにコンテストに出ることを決意する。家からハリボテのギターをもって抜け出そうとしていたところ、ミゲルの相方的存在の野良犬ダンテがリヴェラ家(ミゲルの家族)の祭壇でいたずらをし、高祖母イメルダの写真立てが落ちて割れてしまう。ミゲルが慌ててそれを拾うと、幼少期のココ(ミゲルの曽祖母)を抱いたイメルダの写真は、横が折られていた。そこを開くと、顔の部分は破られていたが、ミゲルの住む町の伝説のミュージシャン、エルネスト・デラクルスのギターを持った男性が立っていたのである。
ミゲルは、自分の高祖父はデラクルスであると確信し、家族の反対を押し切ってミュージシャンになるべく音楽コンテストに出ようと広場に向かう。しかし、ミゲルには演奏するギターがなかった。手作りしたハリボテのギターは、家を出る際に祖母エレナに壊されてしまったからである。そこで、ミゲルは町の墓場にあるデラクルスの霊廟に忍び込み、デラクルスの伝説のギターを手に取る。そしてミゲルがそのギターを弾いた瞬間、ミゲルは生きている人間には見えないからだになってしまった。動揺したミゲルは慌てて霊廟から走り出し、追いかけてきた犬のダンテと共にリヴェラ家の墓穴に落ちてしまう。
ミゲルとダンテが落ちた先は死者の世界であった。そしてそこでミゲルは自分の先祖の骸骨たちに会う。リヴェラ家の先祖たちは慌ててミゲルを高祖母イメルダのところに連れて行く。ミゲルが訳を話すと、ミゲルが音楽好きと知ったイメルダは、音楽を二度としないという条件でミゲルを生者の国に戻そうとする。しかし、ミゲルは「音楽ができないなら戻らない」といい、野良犬ダンテと共に逃げ出す。
ミゲルは本当の先祖であるデラクルスにゆるしをもらおうと、死者の国を探し回る。彼なら自分が音楽をすることを許してくれると思ったからである。その途中、デラクルスの居場所を知っていると言う骸骨のヘクターに出会う。ヘクターはそれを教える代わりに、ミゲルが生者の国に戻ったら自分の写真を飾ることを条件に一緒に行動することになる。しかし、ヘクターは実はデラクルスの居場所を知らず、ミゲルはそのことに絶望する。しかしそこで、死者の国で行われている音楽コンテストの優勝者がデラクルスのパーティーに招かれると知り、ミゲルはヘクターと共に出場することになる。ミゲルとヘクターによる演奏はとても盛り上がり優勝確実となった。しかし、ミゲルを探していたリヴェラ家の一族に見つかってしまい、二人は会場から逃げ出す。その途中、ミゲルとヘクターは些細なことで喧嘩し、ミゲルは一人でデラクルスのパーティー会場に向かい忍び込む。そして、ミゲルはデラクルスに「自分が子孫である」と言い、デラクルスはそれを喜び歓迎する。
ミゲルとデラクルスはパーティーを楽しい時間を二人で過ごした。そして二人きりになったとき、デラクルスはミゲルにゆるしを与え、生者の国に戻そうとする。その時、ヘクターが現れ、デラクルスが生きているときにしていた悪行を暴露し始める。生前のデラクルスとヘクターは実はミュージシャンコンビとして活動しており、曲はヘクターが書いていた。世界中を回るツアーの途中、家族が恋しくなったヘクターは家に帰ると言い出した。それに怒ったデラクルスは、ヘクターの飲み物に毒を入れて彼を殺したのである。
ヘクターにすべてをばらされたデラクルスは、ヘクターを洞窟の底へと落としてしまう。洞窟の中で、ヘクターの体は徐々に消えていく。死者の国では、知っている生きた人間がその死者のことを忘れてしまうと、「二度目の死」として死者の国からも消滅してしまう。つまり、ヘクターのことを誰かが忘れかけているのである。ヘクターの「俺のココ…」という呟きを聞き、ミゲルはふと高祖母イメルダと幼いココの写った写真を取り出す。この写真に写っていた顔のちぎられた人物は、実はヘクターであった。つまり、ミゲルとヘクターは実は家族であったと、お互いに初めて知ったのである。するとそこへ、リヴェラ家の骸骨たちが二人を迎えにくる。そして夫婦であったイメルダとヘクターは久しぶりの再会を果たす。イメルダはずっと帰ってこなかったことを「家族を捨てたから」と思っていた。しかし、ヘクターが本当は家に帰ろうとしていたことをイメルダに話し、やっと誤解を解くことができた。
そしてリヴェラ家の人々はデラクルスに復讐を果たすことを決める。デラクルスのコンサート会場に到着したリヴェラ一家は、ステージ裏でデラクルスに向かって今までのすべてを話した。そして、デラクルスに奪われていたイメルダとココとヘクターの写真を取り返すべく乱闘するが、写真は途中でなくなってしまう。デラクルスはそれをいいことに、自分の生前の悪行を暴露しはじめる。しかし、こっそりとデラクルスに向けられていたカメラによってその姿が会場中に流れてしまう。それを知らずにステージに出たデラクルスは、観客から大バッシングを受け、自身が死んだ事故と同じように、落ちてきたステージ装飾の鐘に潰されてしまった。復讐を果たせて喜ぶ一家であったが、ヘクターのことをココが忘れかけているせいで、ヘクターの体が透明になっていてしまう。そこでミゲルはイメルダに許しをもらって生者の国に戻り、ママココのもとに急いで向かう。ミゲルはママココの前で、ヘクターが娘であるココのために作った曲『リメンバー・ミー』を歌う。するとママココはおもむろに引き出しからちぎられていたヘクターの顔の部分の写真を出した。ママココは歌を聴いて、父であるヘクターを思い出したのである。こうしてヘクターは消えずに済んだ。
そして翌年の死者の日、リヴェラ家の祭壇には、先祖たち、ヘクター、そして亡くなったココの写真が飾られた。リヴェラ家の家には先祖たち、ココとイメルダとヘクター親子が帰ってきた。そしてミゲルは、生者と死者がそろった家族の前で歌を披露するのであった。
 
3.死者の日
 『リメンバー・ミー』の舞台はメキシコで、伝統的なイベントである死者の日がテーマになっている。死者の日とは、メキシコで行われており、故人が生者の世界に戻ってくるのを家族が歓迎する行事である。『世界のお祭り百科』では、死者の日について次のように述べられている。
 
簡単に言えば、この期間、街は死と死後の世界の一色に染まる。店では骸骨をかたどったカラフルな砂糖菓子、ろうやキャンディでできたさまざまな種類のカタベラス(骸骨)が売られる。家族は墓地で夜を過ごし、たいてい食べ物やちょっとした飾り物を墓前に供えて、愛する者たちの魂をあたたかと迎える。11月1日(カトリック諸聖人の日)には子どもの魂が、11月2日(カトリック死者の日)には大人の魂が戻るとされる。厳粛なテーマであるにもかかわらず、人々はお祝いムードで歌い踊る。メキシコ住民の多くは、死者の魂が毎年、この世に戻ってきて愛する者のもとを訪れると信じているためだ(デイヴィ、2015年、59頁)。
 
また、デボラ・ノイスは死者の日について次のように説明する。
 
メキシコでは、生者の世界と死者の世界は、互いに行き来できる状態で共存している。死者の日はアステカ文化の死を重要視する思想と、カトリックのお祭りの日が結びついたものだが、実際には家族が集まる楽しい再会のときだ。そのため、花火が打ち上げられ、にぎやかな市場では飴細工の骸骨や棺のおもちゃ、伝統的な紙人形が売られる一方で、行事の中心部分は家族内でおこなわれる(ノイス、2014年、36-37頁)。
 
映画の中でも、実際にメキシコの人々が死者の日に行っている行為やその装飾品が登場する。その中からいくつかの例を挙げる。
 まず、オレンジのマリーゴールドは、古代で死者に対し供えられたものであり、現在の死者の日では大人の魂が家に帰るために撒かれている。これは墓からその家族の家に続く道に撒かれ、死者の魂はこれを頼りに家に帰る。また、『リメンバー・ミー』では、生者と死者の国が分離して存在している。その二つの離れた国を結んでいるのが、このマリーゴールドの花びらで作られた橋である。死者の日の夜、町に撒かれる花びらの道しるべが巨大化したかのように、死者の国から生者の国に向かうための道を形成している。また、オフレンダは、祭壇や墓に供えられた食べ物などのことである。映画の中では、死者はオフレンダを持ち帰り、死者の国へ再入国するときに入国の条件として持ち帰ったものを申請するという少しユニークで設定が描かれている。
 
4.二度目の死
 二度目の死とは、作中に出てくる死の概念である。死者の国の音楽コンテストの優勝者がデラクルスのパーティーに招かれることを知ったミゲルは、ヘクターにギターを貸してほしいと頼む。するとヘクターは、自分と同じようにいつ忘れられるかわからない骸骨がいる集落にミゲルを案内する。そこでギターを貸してとヘクターが頼んだのが、彼の友人のチチャロンである。チチャロンは今にも忘れられて消えそうであった。ヘクターがギターを貸してほしいと頼むとチチャロンは、ギターを貸す代わりに自分が好きな曲を演奏してほしい、とヘクターに言う。ヘクターがそれに応え演奏すると、チチャロンは満足し、光となって消滅する。これが二度目の死であると、ヘクターはミゲルに悲しげに説明する。また、生者に完全に忘れ去られた者は二度目の死を迎えると、誰も知らぬ世界に永遠に消えると、ヘクターはさらに付け加える。
 この作品の監督であるリー・アンクリッチは二度目の死について次のように述べている。
 
人間には”三つの死”がある、という考えを聞いた。一度目は心臓が止まった時、二度目は埋葬や火葬をされた時、三度目は人々がその人のことを忘れてしまった時だ。僕の心が最も痛んだのは、三度目の”最終的な死”だった。生きている人たちの中に、自分のことを覚えている人がもう誰も残っていない時、人は永遠に死ぬんだ。(中略)”最終的な死”という考え方が、覚えておくことがいかに重要かという、『死者の日』という祝祭の核の部分に行きつくことになる。だから『リメンバーミー』(わたしを覚えていて)という劇中で何度も歌われる歌があり、映画のタイトルもそうなんだ(「人が本当に死ぬのは忘れ去られた時…『リメンバー・ミー』の死生観」シネマトゥデイhttps://www.cinematoday.jp/news/N0099665 2018年10月6日)。
 
 また、人間の死者に対する記憶について、佐藤弘夫は次のように述べている。
 
遺体は数日のうちに朽ち始め、一年を待たずして、物質的存在としてはほとんどの部分が消滅してしまう。人がこの世に生きた証は、やがて完全に失われてしまうのである。しかし、私たちがすぐに故人を忘れ去ってしまうことはない。私たちは繰り返し死者を想起し、その面影を探し続ける。人間は亡き人物を求めることを、宿命として背負わされた存在なのである。なぜ人は、この世を去った人物を憶うことをやめないのであろうか。この問題に答えを見出すのは容易ではないが、それと関連してもう一つ注目すべき現象がある。死者の記憶が保持される期間が、一律ではないという事実である(佐藤、2015年、53頁)。
 
 人間は忘れる生き物である。どんなに大切な人でも、人間は物質としてその人を捉えられなければ、いつか記憶は薄れてしまう。このことから、日本をはじめとする世界の死者への弔いの文化が形成されたと考えられる。
 私が初めて『リメンバー・ミー』を見て感じたのは、死者の日が日本のお盆と似ているということである。旅に出た魂は年に一回家族に会いに帰ってくる。家族は先祖を迎えるためになすびやアレブリヘスといった送迎用の動物を用意し、お供えものを飾り、家族とその日を過ごす。私はこのような日本とメキシコにおける生者と死者の関係に共通性を感じた。
 また、佐藤弘夫は、日本の生者と死者の関係を取り持つ文化について次のように述べている。
 
先祖によって見守られているという認識は、いずれは自分も「ご先祖様」になって子孫を見守るようになるという確信を支える根拠となった。故人の安らかな後生は、生者にとってはとりもなおさず、自分たちの死後の安心を保証するものだった。こうした感覚を共有する社会においては、生と死は重なりあい連続していた。死者の世界は未知の暗黒世界ではなく、再びこの世に蘇るまでの休息の地だった。死は終焉ではなく、生者との新たな関係の始まりだったのである(佐藤、2015年、59頁)。
 
 作品の中で描かれている死者の国では、ヘクターのように身寄りのない骸骨であったとしても、どの骸骨も明るく陽気に過ごしていた。それは単にピクサーが死は怖くないというイメージを伝えたかっただけかもしれない。しかし、二度目の死や、ヘクターの体がココに忘れられそうになる度に消えていく描写を織り交ぜることで、大切な人を忘れてしまう恐ろしさを伝えたかったのではないであろうか。
 
5.野良犬ダンテ
 作品の中で、ミゲルの相方的存在として登場する野良犬ダンテは、メキシコ原産のメキシカン・ヘアレス・ドッグである。現地ではショロ犬という通称で親しまれている。ヘアレス・ドッグの特徴について、藤田りか子は次のように説明する。
 
ヘアレスを司る遺伝子が皮膚のみならず歯にも影響し、欠歯を起こさせることがある(藤田、2015年、252頁)。
 
 ヘアレス・ドッグのほとんどは歯が欠けており、ヘアレスという名前の通り毛がほとんど生えていない。この作品に登場するダンテも同じ特徴を持っている。
 そして、ダンテは作品の中で重要な役割を果たしており、その行動はミゲルやヘクターに大きな影響を与えている。ダンテの行動について、リー・アンクリッチは次のように述べている。
 
2人(注:ミゲルとヘクター)が一緒にいるときは、ダンテは幸せそうに暇を持て余している。でも2人が離れるとダンテは怒ってミゲルが嫌がることをするんだ(『ダンテが生まれるまで』(DVD『リメンバー・ミー』)ピクサー・アニメーション・スタジオ、2018年)。
 
 そこで私は、映画作品において「主人公の相棒的存在」として位置づけられる動物には、物語を動かす力があるのではないかと考えた。『リメンバー・ミー』でも、そう考えられる描写がいくつか挙げられる。例えば、デラクルスの霊廟でギターを盗もうとし逃げたミゲルが墓穴に落ち、その先の死者の国でリヴェラ家の先祖たちに会ったシーンである。リヴェラ家の先祖たちはミゲルを生者の国に戻す手続きをするため、死者の国の出国ゲートに連れて行く。その際ミゲルは、ゲートに繋がる花びらの橋を渡るのにためらう様子を見せる。するとダンテは、戸惑うミゲルに「自分を追いかけて」というかのように花びらの橋を躊躇なく駆けていく。そしてミゲルは慌てて追いかけ、橋を渡ることができたのである。これは、ダンテの無邪気さを表しているとも考えられるが、同時にダンテが魂の案内人として死者の国にミゲルを招き入れたとも捉えられるのではないか。
 また、私はアニメーションにおいて犬が物語の鍵として主人公の相方的存在になることが多いと考えた。例えば、ティム・バートンの『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のゼロ、やなせたかし原作『アンパンマン』のチーズなどである。彼らは時に主人公を救ったり、状況を一変させたりする。『リメンバー・ミー』のダンテも同様に、主人公の行動を左右させたり、ピンチを救ったりする。
 動物が人間に与える影響について、ハロルド・シャープは次のように述べている。
 
動物は人間よりしばしば霊的である。彼らには霊的な面での自己限定など、ほとんどないようだ。だれも動物たちにそれは変だと言ってこなかったし、言おうとする人もなかったので、動物たちは自分の能力をごく自然に使っている。あなたの犬や猫が突然、何らかの目に見えない生き物をじっと見て、部屋中追い回しながら明らかにその生き物を目で追うのを、あなたは見たことがないだろうか(シャープ、2002年、115頁)。
 
 これを踏まえて考えると、ダンテはこの動物の持つ霊的な能力を、ごく自然に使ってミゲルを進むべき道に案内していたと言えるのではないであろうか。
そして、この野良犬ダンテはメキシコの死生観に大きな役割を果たしている。メキシコのヘアレス・ドッグは映画の台詞にもあるように、「生きた精霊」「魂のガイド」と古くから言い伝えられている。それにはメキシコの文化が影響していると考えられる。また、この作品におけるヘアレス・ドッグのダンテには、アステカ神話に登場するショルトルと、『神曲』の著者ダンテと深いかかわりがある。
 
5.1.アステカ神話
 『リメンバー・ミー』は、メキシコの古代アステカ王国の言い伝えであるアステカ神話とリンクする部分が多い。実際に、監督であるリー・アンクリッチも、インタビューでアステカ神話に影響を受けたと述べている。
そのことについて、リー・アンクリッチは次のように述べている。
 
アステカ神話に”人は死ぬと旅に出る”とある。死の地”ミクトラン”へね。自力ではいけないからショロ犬が案内するんだ(『ダンテが生まれるまで』(DVD『リメンバー・ミー』)ピクサー・アニメーション・スタジオ 2018年)。
 
 ここでいうミクトランとは、元はキリスト教の概念で、死んだ人々が必ず行くことになる地底世界を表している。
メキシコにおけるミクトランへの概念について、ミラーとタウベは次のように述べている。
 
  かつてスペイン人宣教師たちが布教した際、キリスト教の地獄を現地語で地底世界をあらわす「ミ
クトラン」Mictlanと訳して説明した。しかし、永遠にミクトランに落ちると脅しても、メソアメリカの人びとにはほとんど効き目がなかった。彼らは富者も貧者も善人も悪人も、すべての魂はミクトランへ行かねばならないことをよく知っていたからである(ミラー、タウベ、2000年、215頁)。
 
 また、メキシコ中部で信じられているミクトランの概念について、ミラーとタウベは次のように述べている。
 
  征服時代、メキシコ中央部のほとんどの人びとは、天界が13層から成り、地底世界は9層に分かれているという宇宙論を信じていた。(中略)メキシコ中部では大地の表面より下の八層にはそれぞれ特有の危険があり、死者の魂はその苦難を乗り越えなければならなかった(ミラー、タウベ、2000年、215-216頁)。
 
 これらを踏まえると、メキシコで信じられている死後の世界の概念は、すべての人が地底世界ミクト
ランへ行くこと、そして地底世界はいくつもの層で構想されており、死者の魂はそれらを旅しなければ
ならないということがわかる。メキシコの人々はそれを理解しており、であるからこそ死者の日のよう
な、明るく死者を迎えるような文化ができたのではないか。
 そして、この地底世界に死者の魂を導くとされているのが、アステカ神話における犬の頭を持つ神、ショルトルである。
ショルトルについてミラーとタウベは次のように述べている。
 
メキシコ中部の神で地底世界と深いつながりを持つショロトルは、時に犬の頭を持った姿に描かれる。アステカとマヤの両方で、犬はショルトルの役割を体現するものであったらしく、主人が死後、地底世界へ入る際にその案内をし、とくに水の領域を渡る際に役立つとされた(ミラー、タウベ、2000年、66頁)。
 
 メキシコのヘアレス・ドッグが「ショロ犬」という名称で呼ばれているのは、ショルトルが由来と考えられる。一方で、ダンテが初めて出てくる場面で、祖母のエレナが「あっちへお行き」と追い払うところがある。それは、かつてショロ犬が食用として食べられていたことから起こった偏見を表しており、同時にエレナの伝統主義も表現しているのではないかと考えた。
 
5.2.『神曲
前述のアステカ神話で地底世界にも適用されている宇宙論は、ダンテ・アリギエーリの叙事詩神曲
にも登場しており、これについて住谷眞は次のように述べている。
 
神曲』は、地獄編、煉獄編、天国編の三部から構成されています。(中略)地獄は九つの圏から成っています。第一圏がリンボと呼ばれる辺土、最後の第九圏がコキュトスと呼ばれる地獄の底です。中でも第八圏はマレボルジャ(邪悪の濠)と呼ばれ、十の濠から構成されています。煉獄は、煉獄の前地で渚と麓と、そこから七つの円道とその頂上にある地上の楽園とからなっています。天国は、第一天から第十天にいたる十の天から成っています。こうして、全体が、プトレマイオスの天動説に立った階層的な宇宙観に基づき、さながらめくるめくヨーロッパの大理石でできた壮大で緻密な寺院の伽藍のような構造になっているのです (住谷、2015年、185-186頁)。
 
フィレンチェ出身の詩人ダンテによる『神曲』では、著者であるダンテ自身が、死後の世界で地獄、煉獄、天国をめぐる様子が描かれている。『リメンバー・ミー』において最終的に魂の案内人となった野良犬ダンテの名前の由来は、この『神曲』で地底世界をはじめとする死者の世界を巡ったダンテから名前をとっていると考えられる。
 これらを踏まえると、野良犬ダンテがミゲルと共に死者の国に迷いこんだ理由がわかる。アステカ神話、『神曲』とのリンクは、冥界巡りをしたダンテ・アリギエーリを重ね、ダンテが魂の案内役をするべき存在であったことを示唆しているのではないであろうか。
 
6.『千と千尋の神隠し』との共通点
 『リメンバー・ミー』の監督リー・アンクリッチとプロデューサーのダーラ・K・アンダーソンは、インタビューで次のように述べている(なお以下引用箇所では、リー・アンクリッチはLU、ダーラ・K・アンダーソンはDAと表記されている)。
 
LU:聞いてくれ。『千と千尋の神隠し』には間違いなく影響を受けたよ。僕たちは宮崎駿の映画が大好きで、僕は特に『千と千尋の神隠し』が大好きなんだ。僕は、あの映画のことを特に考えていたわけではなかったと思う。僕たちにはただ危険性が必要だった。ミゲルが危険な状態にあるということを見せたかったんだ。時間の制限があるということをね。彼は、死者の国でやるべきことをやって、逃げ出さないといけなかった。
DA:それが感じられないといけないの。直感に訴えられるものにしたかったの。
LU:もし彼がそこに長くいすぎたら、なにか危険なことが起きると感じて欲しいんだ。だから、僕たちにとって、それは彼が消えていなくなってしまう、ということじゃなかった。『千と千尋の神隠し』で彼女がそうなるようにね。それはもっと、彼が骸骨になって行くということだった。彼の体やスピリットが徐々に消えていって、中にある骸骨が見えて来るんだ。そういうことだったよ。そして、僕たちはそれをあまりに気持ちを動揺させないやり方でやろうとした(「【インタビュー】『リメンバー・ミー』リー・アンクリッチ監督 アニメーションは言葉を超えて感動を伝える」シネマカフェネット(https://www.cinemacafe.net/article/2018/03/15/55901.html)2018年3月15日)。
 
 これを踏まえて『リメンバー・ミー』を考察すると、『千と千尋の神隠し』(以下『千と千尋』)と似ている点がいくつか見受けられた。まず、上記インタビューでアンクリッチとアンダーソンが述べているように、主人公にタイムリミットがあることである。『千と千尋』では神々の世界、『リメンバー・ミー』では死者の世界で、千尋とミゲルは日の出までに元の世界に戻らなくてはならず、その時間が迫る度に体が透けていくシーンがさりげなく登場する。そして、千尋は豚になった両親を人間に戻すため、ミゲルは人間界に戻りココにヘクターを思い出してもらうために、その限られた時間を使って「異世界」を脱出するのである。
 また、どちらの映画においても一つの印象的な橋が出てくる。『千と千尋』では、商店街と油屋をつなぐ赤い橋が登場する。迷い込んだばかりで人間のにおいが残っている千尋は、息を止めて通らないと神々に存在がばれてしまう。一方『リメンバー・ミー』では、マリーゴールドの花びらの橋が、生者と死者の世界をつないでいる。そして生者の世界に写真が飾られていないヘクターがその橋を渡ろうとすると、ヘクターの骨はバラバラになり花びらの中に埋もれていく。これらの二つの橋は、どちらも違う世界同士を結んでおり、異世界の者が橋の先の世界に入ることを基本的には認めない。また上記に述べたように、古代マヤでは地底世界に入るためには最初に水を通ると信じられていた。橋は川の上に架けられることがほとんどである。『リメンバー・ミー』では、花びらの橋の下は暗闇になっており川があるかはわからないが、いずれにしても、千尋とミゲルは、神あるいは死者のいる世界を行き来するために、映画の中で印象的に描かれているそれらの橋を渡らざるを得なかった。
 また、上記で述べたように、どちらの映画にも「異世界」が出てくる。『千と千尋』では、千尋が迷い込むのは神々の国である。しかし、映画の中には、リンをはじめとする人間の姿をした女中や、千尋が銭婆のもとへ向かうときに乗る電車には影のような人間の姿が出てくる。そこで私は、神々の国であるはずなのに人間が出てくるのは、そこが死んだ魂の集まりであるからではないかと考えた。
 古川晴彦は、『千と千尋』について次のように述べている。
 
六番目の駅(六道)に千尋を送り届けるリンの存在も(であるならば六番目の駅である「沼の底」にたどり着けずに途中下車してしまう半透明の存在たちは、折口信夫の言うところの不慮の死を遂げた「未完成霊魂」ということができるかもしれない)、そしてその背後に「葬儀」と貼られる「ハレ」の空間たる油屋も、千尋が薬湯を要求するときの縄が首かけ縄に見えることも、千尋が最後に現実世界に帰還するときに「ふりむかないで」と言われることも(このことは亡くなったエウリュディケーを追って冥界を旅したオルフェウスが最後の最後でうしろを振り返ってしまったことで、妻を永久に喪う西洋の説話類型や、葬式の後にわざと遠回りをして振り返らずに帰る「野辺送り」の風習を引いているようにも思える)、死者を連想させるのである(古川、2017年、43頁)。
 
 『千と千尋』に出てくる神々の国が仮に死んだ魂の集まりであるとすれば、『リメンバー・ミー』の死者の国と共通する点がより見えてくる。その世界の人々は、ごく普通に生活をしている。しかし、地底世界の旅の途中に脱落してしまえば、片道チケットしかない電車で途中下車することになってしまうであろう。そして、旅を終えた者は永遠に時間が止まった場所、「沼の底」あるいは二度目の死を迎えた魂が向かう永遠の世界に進む。また、生きている者がその世界に入ることは本来あるべきでないことであり、それ故に時間が来たらその者は消滅してしまうのである。
 そして、私が一番重要であると考えるのは、千尋もミゲルも異空間に迷い込むことで彼ら自身に変化が生じる、ということである。千尋は、油屋で労働をすることで、徐々に自分でアクションを起こし、最終的には自分の判断と意志によって両親を取り返す。ミゲルは、音楽禁止の家庭で育つが、死者の国での先祖たちとの交流を通じて音楽をする自由を手に入れ、家族とも和解する。どちらの主人公も、突然姿をくらまし、人間界で言う「神隠し」にあっており、それによって彼らの中で新たな意識変容が起きたのである。
 一方で二つの作品において対照的なのは、家族の描かれ方である。千尋の両親は、千尋に対して何となく投げやりで、娘のムスっとした態度をそこまで気に掛ける様子もない。一方ミゲルの家庭は、家族が一緒にいること、団結することを重視しており、映画全体を見ても、最終的に「家族は大切」というテーマに結び付けていることがわかる。この二つの作品は、家族の存在については違う考えを持つようである。
 
7.「家族」とは何か
 私が『リメンバー・ミー』において重要であると考える問題は、家族についてである。『リメンバー・ミー』が公開された際の公式テーマは、「それは、時を超えて―家族をつなぐ、奇跡の歌」である。
 メキシコは家族の繋がりがとても深いと言われている。しかし、繋がりが深いからこそ、それが壁になりうることがある。実際に、音楽が好きなミゲルに対し、音楽禁止を掲げるリヴェラ家の人がそれを妨げている様子が多く描かれている。ミゲルは靴磨きをしていた演奏者に対し、自分がもしミュージシャンになったらという想像を話すが、「家族がいなければ…」と最後につぶやく。そして、リヴェラ家の強い権力者ともいえる祖母エレナは、家族という繋がりに対しての執念をたびたび言葉にしている。「家族のために家族のそばにいる、それが家族ってもん」「リヴェラ家の者は皆靴職人だ、上から下も」というセリフがその例である。また、死者の日に、夢のために音楽コンテストに出ると家族に言ったミゲルに対して一番怒りを見せたのもエレナである。ミゲルが木の板で作ったハリボテのギターを、エレナが地面にたたきつけて破壊するシーンで見せるミゲルの悲しい表情は、映画の中でも特に印象的な場面の一つである。そしてその壊されたギターは、家族の絆を崩壊させるものという象徴にも捉えられる。最終的に、ミゲルは死者の国で先祖と交流したことで音楽をすることを許されるが、それ以前のリヴェラ家のことを踏まえると、「音楽ができるようになってよかった」という感想だけでよいのか、疑問を感じた。もしミゲルが死者の国に行っていなければ、ミゲルはどうなっていたのであろうか。ミュージシャンの夢を諦め、代々引き継いでいる靴職人をしていたのではないか。家族はいつも一つで、その枠から少したりともはずれてはいけないという伝統的で半強制的な思考が、死者の日とは別にメキシコに存在していることを忘れてはいけないと私は考えた。
 
8.おわりに
 私たちにとって、死とは未知のもので、怖いというイメージがある。それは、その人あるいは自分の実体が無くなることで、死んだ後どうなるか想像ができないからである。しかし、『リメンバー・ミー』では、死後の世界を明るく表現することで、映画を観る子どもたちに「死は怖いものではない」と伝えようとしているのではないか。その一方で、作中には二度目の死のやミゲルやヘクターの体が消滅していく様子が描かれている。明るい世界観の中にさりげなくちりばめられている「消滅」が、この映画の魅力と言える。そして、ダンテという名前を使ったり、地底世界ミクトランを案内するショロ犬を登場させたりすることで、死ぬことが終わりではなく、死後も人生が続くことを表現していると考えた。
また、上記に記述したが、『リメンバー・ミー』の最大のテーマは家族である。この作品は家族が一つになることの素晴らしさを伝えようとしている。しかし私は、そうなるまでの過程をよく考えるべきであると考えた。一人の少年が夢をつかむための行動を阻んでいたのは、まぎれもなく家族である。一つになろうとすることで、大切な何かを犠牲にしなければいけないのが家族の形であるならば、それは間違っているのではないか。そのように考えると、映画の中で悪役として登場し、ミュージシャンの夢を大成したデラクルスが、夢より家族を優先したヘクターを殺してしまったことが、本当に「悪」なのか疑問に感じた。
リメンバー・ミー』では、メキシコの死者の日というテーマを通じて死、そして家族について伝えてくれており、私たちはそれを深く考えるべきではないであろうか。
 
参考文献
佐藤弘夫「記憶される死者 忘却される死者」東洋英和女学院大学死生学研究所編『死生学年報 2015 死後世界と死生観』リトン、2015年、53-70頁。
ティーブ・デイヴィ『ビジュアル版 世界のお祭り百科』(村田綾子訳)柊風舎、2015年。
住谷眞『暗い森を抜けて 神曲ものがたり』新教出版社、2015年。
デボラ・ノイス『「死」の百科事典』(千葉茂樹訳)あすなろ書房、2014年。
ハロルド・シャープ『ペットたちは死後も生きている』(小野千穂訳)日本教文社、2002年。
藤田りか子『最新 世界の犬種大図鑑』誠文堂新光社、2015年。
古川晴彦『ジブリの授業:語りえぬものたちの残響と変奏に耳を澄ます』アルファベータブックス、2017年。
松濤弘道『最新 世界の葬祭事典』雄山閣出版、2000年。
メアリー・ミラー、カール・タウベ『マヤ・アステカ神話宗教事典』東洋書林、2000年。
本村凌二監修『世界の国々と祝日―その国は何を祝っているのか―』理論社、2016年。
森山光司『メキシコ料理大全』誠文堂新光社、2015年。
「人が本当に死ぬのは忘れ去られた時…『リメンバー・ミー』の死生観」シネマトゥデイ 
(https://www.cinematoday.jp/news/N0099665 2018年10月6日)。
「【インタビュー】『リメンバー・ミー』リー・アンクリッチ監督 アニメーションは言葉を超えて感動を伝える」シネマカフェネット(https://www.cinemacafe.net/article/2018/03/15/55901.html)2018年3月15日。
DVD『リメンバー・ミーピクサー・アニメーション・スタジオ、2018年。

就職活動中の河野純喜くんへ~その1~

 

 

2019年12月10日。

produce101Japan ファイナル前日。

明日は 残留した練習生たちの運命が決まる日。

そんな心のうずうずとドキドキが混じりあって仕方がない今日、私は1pickである河野純喜くんへ、途方もないくらい重くて深い思いを勝手ながら届けたい。純喜は私のことなんて何も知らないし、一生交わることも無いけれど、それでも私は純喜に沢山の楽しい記憶と感動をもらった。こんなキモいオタクが出来ることなんて、純喜への感謝をツラツラと書くことしかない。何も返せない分、せめて私が純喜からもらったこの思いについて、つらつらと書かせてください。

 

 

 

 

改めて、私の1pickは奈良県出身の河野純喜く

んです。
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生年月日:1998年1月20日(21歳)
身長・体重:174cm・64kg
血液型:O型
出身・国籍:奈良県・日本
趣味:筋トレ、ランニング、旅、将棋
特技:サッカー、英語、ものまね(ディズニー)

一言:

絶対にメンバーに選ばれて、夢を叶えます!!!そして、自分のように「夢を見る人たち」に1歩踏み出す勇気を与えられるようなアイドルになる!!!

 

 

純喜は、日プテーマ曲「ツカメ~it's coming」のチッケムが出た時、韓国人ヌナからのコメントが話題になってましたね。


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https://youtu.be/oSb_WcrtA3E
シャープな顎とシュッとした目元、韓国人がバリバリ好きな顔らしく、「純喜ヤ、ごはん食べたらダンスの練習しようね」とヌナたちからコメント殺到。まぁ確かにダンスはちょっとカチカチだけど、一生懸命笑顔で踊っていて、ヌナの母性くすぐっちゃう感じ。

 

そして、純喜のデビュー公約。
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デビュー公約が公開された時はまだ純喜のことを把握出来てなかったのですが、とりあえず全力で「は???」って言った。なぜカルボナーラ

公約動画見てみたら、「イタリアに1週間修行に言って、ファンの皆さんにカルボナーラをごちそうします!」ってあまりにもキラキラした笑顔で言うから、こいつネタで言ってるわけではなさそうと本能で感じました。

 


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そして純喜のサインが公開。

なんか、、うん、、、その、、あんたが書くものなら何でもかわいいよ。

ちなみに「喉乾いたんで、カレーライス作ってください♥️」というセリフ、初見の人は「こいつアホか?」と思うかもしれませんが、彼の好きな飲み物がカレーライスなので悪しからず。1分PR動画で公言しています。

 

↓純喜の1分PR動画
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https://youtu.be/9hgh-2aWrzc

「特技は目薬、好きな飲み物はカレーライス」はさすがに笑った。しかも目薬入ってない。まあかわいいからオールオッケー(贔屓の過ぎたオタク)。

 

 

そしてついに始まった日プ放送。

1話では純喜はシックスパックスのメンバーとしてクラス分け評価に登場。


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シックスパックスって名前から天才。

イケメンムキムキお兄さん3人組は最初から話題になってました。

長男の歩くセクシー與那城くん、次男の海からやって来た男安藤くんと共に、末っ子として登場しました。

 

そしてシックスパックスのパフォーマンスが終わり、純喜がこんなことを言いました。
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デビュー公約の動画でも思いましたが、この人の中には何か揺るぎない芯みたいなものがあるのかな、と感じました。純喜が言うことには、少しの濁りも無くて、この人が言ったことなら本当になる気がする、そう思ったんです。「101人の中で1番好きなくらい」「(歌が)大好きな気持ち」、少し下を見ながら緊張げに話したその言葉から、純喜のこの番組にかける思いが伝わってきた気がしました。

そういえば、純喜が付き合っていた方との写真が流出した時、夢のために別れることを自ら決めたというエピソードが話題になっていました。私は純喜が一般人とはいえ、アイドルのプライベートに介入するのが好きではないのですが、このエピソードで純喜の賢さというか、アイドルとしてのポテンシャルを感じました。

アイドルって、ただキラキラした舞台に立ちたい、スーパースターになりたいって気持ちだけでなるべきではないと私は思ってます。「アイドル」として、いかに自分をプロデュースして上手く魅せるかひたすら研究して練習して、、ある意味職人みたいな仕事なんじゃないかなと。彼はそういった意味で、アイドルという「職業」に向き合おうとしているのではないでしょうか。もちろんアイドルも人間なので、プライベートにファンが介入する権利はないけれど、その決断をしてまで挑んでくれたと知って、その気持ちを無駄にしないためにも全力で応援したい、と思わせてくれました。ただ、私は純喜が選んだ道は何でも応援するよ!!!

 

そんな賢い純喜に感動しながら過ごしていたある日、歩数計バトルで純喜がアホの子ということが世間に晒されました。


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アホ???

バンド式の歩数計だから、まあボケに走って腰とか頭につける奴いるだろうなと思ったけれど、、自分の推しでした。

(歩数計を頭につけた愛すべきおバカは、純喜&1分間PRでラーメン早食いをぶちかました大澤のみです。)


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いや勝つんかい

 

 


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純喜、喜ぶと犬みたいに口ガバッて開けるの鬼かわいいですよね。というか、純喜って表情コロコロ変わるから見てて楽しいし、そういう素直なところが純喜の周りにいつも人が集まる理由なんだろうなと思います。その能力、アイドルに大事だよ。

 


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そういえば歩数計バトルの前に公開されたガチンコマッスルバトル(なんだそりゃ)でも、來良くんとめちゃくちゃ楽しそうに競ってました。年下の子にも分け隔てなく接して飾ったりしないから、年下の子たちも声掛けやすいんだろうな。実際、港人や來良、大平くんもすごくラフに話していました。

 


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年下に煽られてキレる純喜

 


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先輩風を吹かせている(by與那城先輩)純喜、港人に必死のアピールするも「奨さんっス!」の一言で敗北。ヘタレか。

 

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キレキャラが定着した純喜

 

與那城くんと港人とのシーン、好きすぎて毎日見てるんですが(マジで?)、純喜たぶん「ケミ」の意味知らない。素直すぎて顔に若干はてなマーク出てる。

でもこうやって、弟たちとワイワイやっているシーン見ると、本当に素敵な人だなってつくづく思うんです。

シックスパックスは割と皆そうですが、年下の子と分け隔てなく話せるって、年上が話しやすい空気を作ってあげているからだと思うんです。いくら話上手・懐き上手な子でも、「この人なら大丈夫だ」っていう空気感が無いと自分からいけないから。例えば、フワフワそうに見えて自分のプライドや軸を持っているヒコくんが安藤くんに懐いていたのも、安藤くんがそういう接しやすさを持っているからかなと、、。純喜にもあると思うけれど、シクパのお兄さんたちには、そういう「強そうで柔らかい」空気感があると思っています(もちろん他の練習生たちにもあると思います)。

 

 

 

 

そして迎えたポジション評価。

 

純喜は「whenever you are」を担当。

 


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なかなかグループ全員で練習できないことに不安を見せていた純喜。

1人で黙々と練習する背中が本当に不安そうで、、(マイクが生茶なの笑ってしまったけどな)。

 

喉が不調なメンバーや練習がはかどらないメンバーがいる中、純喜のコメントがちょいちょいと抜かれていて、

「何もしない時間が多かったりした」

「チームで合わせてないところもある」

と、とにかく不安そうで。

 

多分、サッカーでチーム戦をしていたからこそ、皆でやりたいという気持ちが強かったんじゃないでしょうか。周りを察することが得意そうだから、余計そう思わせたのかな。でも最後の方は、皆で練習しながら楽しそうに話していたり、他のメンバーの話を真剣に聞く姿が増えてよかった。

 


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本番、純喜の歌声と表情は真剣そのもので、気持ちがこもっていました。

そして最後のこの表情、、。

 


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whenever1組、実力者揃いで素晴らしいパフォーマンスでした。

順位発表の時、ヒョクくんと林くんの手を握り続ける純喜、他のメンバーに真っ先に握手しに行く純喜、そして相手チームの元に1番最初に行く純喜。自分はもちろん、この人は「他の人」にも常に意識があって、だからこそそうやってすぐ行動できるんだろうなと思いました。

そしてこれ毎回みて思うのは、

「この人本当に歩数計頭に巻き付けた人??」

 

 

 

 

やばい、最初は純喜への思いを書こうとしか思ってなかったのに、振り返り集みたくなってきた。まあでも、それだけ純喜に魅力があるってことだよね☆(???)

 

ということで、一旦ここで区切って次の記事を書くことにします、、。

 

X1ショーコン 勝手に感想TIME

 

渡韓日記が終わらぬままだが、書きたいことがある。

 

 

 

 

 

 

 

X1デビューチュッカヘ!!!!!!!!

 

 

 

 

プエク自体は、2話までは頑張ってリアタイしていたものの、なん練習生の人数が多くて挫折し、9話くらいになって友達が熱く語っている姿に「やっぱりファイナルまでに追いつこう」と決意し(結局間に合わなかったけど)、ファイナルを悲鳴と共に見ました。

 

ちなみに語りだすと長くなるので名前だけ書いておくと、私が好きだったのは、スファンくん(お歌上手だし小さいのかわいい、ユビンとのコンビがよかったし何より性格よさそう)、ビョンチャン(顔がひたすら好き、あとリアクションかわいい)、ウンサン(ボケーっとしてるのに舞台で豹変するタイプ好き)、ビョンソンテ(一回目の順位発表で落ちました、顔がいいのググってください)、が今思いつく限りですね。

プエク終了後はカンミニとクジョンモに目覚めました(目覚めました)。もう、結論を一言で言いますね。みんな好き!!!!!!! ~end~

 

 

脱線しました。いつもです。

ということで、そんな感じで今も熱が冷めぬプエク。

そして先日8月27日はX1のデビューでした。本当におめでとう。

ショーコンの映像を見ていたら語りたい熱が止まらないので、とりあえず書きます。自己満足だし私の見解で書くので、どうか好きに書かせてください。

 

※順不同

 

FLASH

デビュー曲!!!かっこいいね??

(みんなして黒い指輪めっちゃ気になるんだけど私だけか???)

 

正直最初は意外と印象残らん曲系か?と思ってしまったが、何回か聞いていたら程よいテンポ感で進むから飽きずに聴けるし、パフォーマンスありきの曲かなと思った。サビがはっきりと無い(よね?)から、聴いてる人がワッてなる瞬間がなさそうに思えたけど、途中で曲が止まって最後の盛り上がりに入るからメリハリある感じが出てました。

 

プエクの時に先生も言ってたけど、ヨハンくんて曲に入り込むの本当に上手や。天性のセンター。

静止シーンのチャチャ見てたら髪型かわいすぎてにやけた。お坊ちゃまみたいでかわゆすぎ。そのあとの動き出しのウソクさんのセクシーさは言うまでもなく。

これ見て思ったけどエクワン、オールラウンダー多くね?スンヨンさんは言うまでもないが、ヨハン、ドンピョとかラップもダンスも見せ場も、なんでもこなせるのでは。今後そこにカンミニとかウンサンも仲間入りしそう。

 

 

・Like always

初めて聴いた時、曲がスキでした。

やっぱりこういう曲に一番合っているのはドンピョ、ヒョンジュンらへんだけど、パフォ見ているとスンヨンさんとかウソクさんのこなし感がすごい。意外とこういう曲のがこなすの難しそうだけど、経験者はほどよく自然でラフに踊りこなしてて感激。

 

 

・Pretty Girl

プエクver.もエクワンver.も何回見たかわからん。

アイドルという職業の夢と希望詰まってる。好き。

 

正直サビ踊らんのかい!!!!って突っ込んだが、まあいいや。

というかカンミニ、ヒョンジュン、ナムドにバブちゃん衣装着せたの誰。ふざけんな。金一封包んで送り付けたるわ。

 

この曲、かわいいけどちょっと切なさがある感じが好き。

ハンギョルくん悟り開いてる感じで踊ってるの笑ってしまった。十分似合ってるよ。おばさんはそういうギャップも好きだから大丈夫だよ。

 

それにしてもどの曲でもいえるけど、チャジュノをちゃんと映しなさい。

 

 

・MOVE

思い出されるプエク、、、ウンジギョ組の貫禄・プロ感とはまた違って、ちょっぴりフレッシュ感もあってよかった。軍服かっこいい!ずっと着ててくれ!(個人的趣向)

 

個人的にはカンミニやばかった。金髪になったら目つきが際立ってこういう曲に表情がよりマッチするようになったように思える。

あとこの動画見てるとき改めて感じたのは、「ナムドでかい」。

 

 

 

・少年美

まずフイ先生天才。曲が天才。

このツルンツルンの衣装、ヨハンやスンウさんの着こなし最高すぎない?セクシすぎ。

ただ少年美は歌いだし聞くと、プエクのセクシー対決しか思い浮かばなくて曲が終わるまでその映像が頭を離れないのでエムネは責任を取ってください。

 

 

・U GOT IT

 

 

好きいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!

 

私のプエク曲1pick。

スンヨンさんにやってほしーとひそかに思っていたが、本当に叶うとは。案の定落ちた。スンヨンチッケムジュセヨ。一日見続けられる自信ある。

 

そしてエクワンver.の最後のセンターはヨハンだったけど、個人的にはウソクさん最強。それにしてもヨハンくんどの曲でもセンターの顔になれるその表現力すごい。

 

ガリはどうしてもスンウさんやウソクさんに目が行ってしまうけど、チャチャのパートが好き。似合ってるよ。

スンウさんのユガリについて言い出すと日が暮れてしまいには1世紀またいじゃいそうなので言及しません。控えめにいってスンウさんってユガリの神ですよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あーあとたぶんX1-MAとケンチャナヨ残ってるけど体力使った。のでここまでにします。

 

ショーコン見てて思ったのは、やっぱりその前から苦楽を共にしていたからか新人感がない。デビューしたてには見えん。

どうでもいいけど、私は特にウンサンくんが好きです。ファイナルの時、あんな表情でいられたらとても不安で、今後大丈夫かなと思ったけど、ドキュメンタリーチラ見したら、スンウさんはじめとする優しいヒョンたちがいるから大丈夫、と確信した。ウンサンくんの性格から、これからもたくさん努力していい姿を見せようとしてくれるんだろうな。心優しいからついつい頑張りすぎそうだけど無理はしないで、いっぱい楽しい思い出を作ってね、というキモオタからのメッセージ添えておきます。豹変ドル・イウンサン好きだよ!!!!

 

最後に、いろいろ騒がれているけど、彼らが楽しくみんな一緒に花道を歩めることを祈ることしかオタクにはできません。そしてヨハンくんはお大事に。ゆっくり治療してね。

そして日本おいで!!!!会いに行きます!!!!!

 

 

 

 

 

アーサー求めて百千里 ~オタク渡韓日記~ ①



アンニョンハセヨ。

現地で使った韓国語は「アンニョンハセヨ」「カムサハムニダ」「ネッッ」のみ、別田(ベッタ)です。

 

 

大学生の夏休み、どう時間を使おうか考えていましたが、

 

 

 

 

 

 

 

オタクすることしか思いつきませんでした。

 

 

本日はそんなしょうもねぇオタクによる渡韓日記です。

旅行初心者な上、あくまでも私のための記録という前提をご理解の上でご覧いただけたらうれしいです。

 

DAY1

飛行機が午前の便だったので、早朝に出発(ゆうて6時くらい)。

成田空港まではバスで行きました。

 

そして今回はあのトン先輩が広告をしていらっしゃるチェジュ航空を利用。

LCCということもあり、ターミナルは成田の第三でしたが、第三ターミナル何もねぇ(;^_^A

手続きして荷物預けて朝ごはん食べて、その後時間つぶすの少々大変でした(私は期末試験中という鬼畜大学生なので、仕方なく試験勉強してました)。

 

ちなみに朝ごはんは、第三にあるフードコート(フードコートしかなかった)の中のお店で、人気のエッグベネディクトをと言いたいところですが、売り切れだったのでなんかフレンチトースト?みたいなのを食べました。おいぴかった。


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↑このお店

マフィンとかホットサンドなんかもあった

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↑カフェラテ美味しかったです

 

ちなみに他には、サブウェイやうどん、寿司とかのお店もアッタヨ。

 

朝食を済ませ、本屋をうろつき、搭乗。

 



 

 


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↑認証ショット初挑戦

しかし天気が味方せず映えず(生粋の雨女)

 

ちなみに初心者によるチェジュ航空考察

 

◯預け荷物(受託荷物)に注意

→今回私は、HISの航空券+ホテルのパックだったので全く気にしていなかったのですが、チェジュは、航空券の値段によって預け入れできる荷物の基準が違うらしい。安い航空券を買うと、預け入れできず手荷物しか持っていけないこともあるらしいので注意(手荷物は確か規定サイズ内のものを原則一個なので、キャリー1個を機内に持っていってもハンドバックがNGになるらしい?)。ちなみに私はHISで取ったら預け入れ荷物15キロまでOKの航空券でした。まあカウンターで重量オーバーとかで預け入れが必要になった場合は、その場でお金払えば面倒なく預けられるらしいので、帰りとかは最悪それでいいかなとは思いましたが、そんなに買い物もしませんでした。

 

機内食はなし、お水は無料でもらえる

 

◯座席狭め、イス固めで肩と腰しんだ

 

◯アテンドのお姉さんお兄さん美男美女(重要)

 

 

⚠️あくまでも素人による意見なので、ご利用される場合は公式サイトを参照してください

 

 

 

 

 

そんなこんなで仁川空港に到着。

 

14時くらいに入国審査を終え、お昼を食べていなくて小腹が減っていたので、仁川空港にあるクリスピードーナツへ。


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↑飲み物Sサイズなのにバカでかい。飲みきれなかった。

 

店員のお姉さん頑なに韓国語使ってくるので、全くコミュニケーションとれん。泣いた。

カウンターの横に小さいイートインスペース(5席くらいしかない)があって、そこで食べようとしたら、キャリーケースがうんちゃらと言われ、「??」してたら、キャリーは持ち込めんわ、入り口の横に置け、とのことでした(こんな言い方ではなかったです)。

隣の席に来た日本人のヌナ2人組は、テイク用のドリンクを店内で座って飲もうとしたら、ここで飲むなや外で飲めいと注意されており(こんな言い方ではない)、店員さんも対応大変やろな、、と思っておりました(誰)。

 

腹ごしらえし、空港で換金し、いざホテルへ。空港鉄道で移動しました。

(初心者の方へ、、ソウルに向かうには他にも空港リムジンというバスもあります。とっても速くて楽らしいですが確か少し高かったような。空港鉄道は時間はかかりますが、450円くらいで移動できました!急行もありますが混んでるし大して時間変わらんので、ソウルまでなら鈍行使うのがオススメ)

 

 

今回のメインであるミュージカルの会場が、光化門という駅だったので、ホテルはその近くの駅の仁寺洞にしました。

 

仁寺洞は、明洞や弘大のような超定番の観光地ではありませんが、伝統村と言われていて、昔ながらの韓国が楽しめるスポットです。日本で言ったら京都とか奈良みたいな。日本人観光客はあまりいませんでしたが、お買い物も出来るし素敵なところでした。

 

ホテルは、ホテル呉竹荘仁寺洞さんにしました。

 

http://www.kuretake-inn.com/insa-dong/

 

↑公式ホームページ

 


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今回泊まったツインルームの写真です。

 

日本のホテルが経営してるだけあり、スタッフの方が日本語ペラペラで感涙。500円で朝食バイキングが食べられたので、一回利用しましたが、これも日本人向けなお味でとても美味しかったです。


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↑盛り付けのセンス0です。盛り付けより食欲が勝りました。

 

 

ホテルも綺麗だしスタッフの方も対応素敵なのに、割と安価でした。しかも鍾路3街からはアクセス悪くなく、5分~10分くらい歩けば、観光スポットでもあるショッピングモールのカロスキルにも行けます。仁寺洞に泊まる方にはとてもおすすめです。

 

 

そして、この日は周辺をうろつき、特に買い物などもせず夜ご飯へ。

 

あまり韓国ごはんに興味が無い我々でしたが、とりあえず初めてだし韓国ぽいもん食べておくか!となり、ホテルの近くかつ綺麗で美味しそうという適当な理由でお店を選びました。

 

新浦ウリマンドゥ 仁寺洞店

https://www.konest.com/m/gourmet_detail.html?id=392

(コネストさんの記事です)


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↑私は混ぜ麺みたいなの食べました。一緒に出し汁みたいなのくれて、それかけて混ぜて食べました。卵の横の赤黒いコチュジャン?めっちゃ辛かったけど普通に美味しかった。


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↑マンドゥの 3種盛りみたいなの

キムチとえびと何か(忘れた)で、個人的にはえび美味しかった。そして熱かった。

 

適当に選んだのであとでお店について調べてみたら、マンドゥがメインのチェーン店でした。チェーン店は味もメニューも安心安全(個人的意見)!!日本語も書いてある!!!

 

 

 

 

 

そんなこんなで、1日目は終了。

 

やっと1日目が書き終わった、、他にもレポ山ほど書きたいのに、、、(死んだ目)

 

次に書く予定の2日目は、この旅の目的であるミュージカルです。

 

また長々と書いてしまいそうだ(^_^;)(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

【どうでもいい】私のオタク歴~雑食に至るまで~

 

こんにちはこんばんは。別田(ベッタ)です。 

 

突然ですが、先日私は韓国に行ってきました。

それは現本命グルのメンバーのミュージカルを観に行くためでした(with母)。

そのミュージカルとは、今日本でもジリジリ、ジワジワ、いや、ゾクゾクと人気になってきているSEVENTEENのメインボーカル・ドギョムが主役で出演している『エクスカリバー』です(親子でカラット、尚母はドギョムペン)。

 

3月に一度、私は友達と初渡韓を果たしたのですが、その時は渡韓経験済と韓国語私より少し出来る人がいたので、私は何もせずに(オイ)ついていくだけで(コラ)済みました。

 

しかし!!

 

今回は!!!

 

ほぼ旅行初心者の別田と

もっっっっと初心者の母という

 

不安要素しかない状態で行ってきました。

 

 

無事、目的を果たして帰還したのですが、自分のためにも備忘録を書いておきたい。

 

しかしその前に、私が手を出しているドルたちを紹介するべきでは?とふと思ったのです(興味オプソヨ)。

 

以下紹介していきます!!

 

が!!

 

これは自己満で書くものなので、どうかお手柔らかに、このブログを見つけてくれた方は流れる水のようにスクロールしてくださいね。

尚、私は本命+片足突っ込むグルがいる状態が基本スタイルなので、雑食等々苦手な方はご注意を。

 

 

小学4年生 嵐との出会い

 

私のオタク遍歴は遡ること小学校4年生の時です。

 

ある日Mステで、花より男子ファイナルの主題歌「One Love」を聴いて

 

「この曲スキィ!!!!CD買って!!!」

 

と母におねたりしたのが始まりでした。

 

最初は母に勧められた潤くんを推してましたが、次第に相葉くんに心を奪われ、、今でも彼は私の中で永遠のアイドルです。

(尚私の顔面の好みは歴代推しを見れば大体わかりまふ)

 

小学生から嵐、特に相葉くんへの愛を深めてきた別田くん。

 

中学高校は私立一貫女子校という、オタクか腐女子どちらかになれとでもいうかのようなコースを歩みました。

 

そして中学高校は、仲良しアラシック(懐かしいファンダム名)4人で、自名義自チケットで健気にコンサートに行っていたなア(今も自名義で行ってるヨ!!)。

 

~ちなみに~

 

[私が参加した嵐コン]

 

〇2013年

🈠アラフェス'13

→母と初参戦、まさかの花道真横を引き当て、メンステで踊るアラシの小さなケツを拝みながら大号泣。

 

〇2014年

・(ライブビューイング)BLAST in Hawaii

→一応書いておきます。

これもオープニングのヘリ登場にギャン泣き!!(そのくらい全力捧げてオタクしてた)

 

・THE DEGITALIAN

→アラシック(だから懐かしいって)4人組で初参戦。東京ドーム2階は遠かったナァ。

 

〇2015年

・Japonism

→4人中2名義当選し、相葉センイル(Kポに浸食された脳)ともう1回、計2回参戦。

スタンド1階前列の見やすさに感動、そして推しの誕生日を直接お祝い出来たね記念日。

 

〇2016年

・Japonism Show in ARENA

→ファンクラブ会員限定1人1枚までという鬼条件にも関わらず見事当選。

横アリでガチもんの天井席引き当てるという私のチケ運(運がない家系)。

横アリで嵐くん見るなんて夢にも思わなかったわい。

であるがしかし、横アリは小さい。割と近かった。そして泣いた(泣くな)。

 

(この年のツアーはお受験のためお休み)

 

〇2017年

・「Untitled」

→初の遠征で札幌へ。寒いし札幌ドームアクセス悪いしで散々だった。

そしてこの時既にバンタンに片足突っ込んでおり、意識はそっちに傾いていた()。

 

仲良しアラシックちゃんも、なんだかんだ言って高校卒業してから大学ライフ満喫してて、熱量が以前よりも薄れていた気がゴニョゴニョ \お前だけだよ/

 

ノリで応募して当たった札幌、ホテルを何とかキャンセル待ち確保して、エア取って、、、今じゃいい思い出です。

そして、これが最後の嵐魂参戦ともなりました。

私のオタクの始まりは彼らであり、私のオタクマインドも彼らから学んだようなものです。全力投球してた時、懐かしいな、たのしかったな。

 

2017年冬 バンタンとの出会い ~ジャニオタ卒業へ~

 

はい!!!!!上の参戦歴を読んでくれた天使様なら気づいたと思いますが!!!!

 

 

バンタンに出会いました。

そして私のオタク第二章~Kポップ編~のはじまりです。

 

 

きっかけは、テレビでビルボードチャートの番組を見ていたら、3位に入っていたのが、「MIC Drop」だったことです。

 

 

 

アラシへの熱も冷めてしまい、オタク休止中でしたが、もともと好きだった洋楽を聴くために、ビルボードチャートを毎日見ていました。

 

テンテンテレレン、テンテンテレレン、、

 

 

かっこいい。誰この子たち、まって韓国のアイドルじゃん。防弾少年団ってウケる名前(別田殴られる音)聞いたことあるけどこんなかっこいい曲あるんか!!!

 

となり、速攻でYouTube漁りまくり沼落ち。

 

最初はジョングク気になるメンだったのが、いつの間にか視線はジェイホープへ。

嵐の次に私が追うべきものはBTSだ!!!!!となりアーミーへ転身。

 

そして決まったドームツアー。

 

ファンクラブに入り、奇跡的に当選。

嵐オタやめてジャニイズに戻る予定はなかったので、まさか再び東京ドームに行くとは思ってませんでした。

 

安定の遠目のお席でしたが、とても楽しみました。

 

それ以降、バンタンきっかけに、年末の授賞式やらMnetのMV特集などを見るようになり、少しずつKポの基礎知識を学ぶようになります。

 

そして、別田推しグルの変(やめとけ)が起こるのです・・・

 

 

2018年冬 セブチソンベニムと雑食の道へ

 

別田推しグルの変(だからやめとけ)は2018年MAMAで起こりました。

 

SEVENTEEN at 2018 MAMA Full Performance [INTRO + OH MY + FLOWER + BRING IT + INTRO + GETTING CLOSER] - YouTube

 

スミチャを踊るセブンティン、、、

 

 

沼でした

 

 

群衆舞に衝撃を受け、今まで人数が多いがゆえに避けてきたのを後悔。

そしてYouTubeを漁りまくる(オタク得意技)。

 

その中で、前から誰の曲かはしらんけど曲調がツボで見まくってたMVがあるのを発見、それがオチョナでした。

 

 

 

バンタンはすぐ覚えられたのに、13人の壁は激厚激高でめっちゃ顔と名前の一致に苦労した。

 

セブチくんは今後の記事でも登場すると思うので長く書くのはやめますが、別田のセブチ応援歴だけ載せさせてね。

 

名前覚えるのめっっっちゃ苦労

推しが決まらん、とりあえず箱推し

バライティ見ててスングァンちゃんに心奪われる

"""""ソラブー"""""という沼カプを知る

ハルコン(たまアリ)に注釈席で参戦、バーノンてぃやの人柄に心奪われバーノンペンに移行(これについては言葉にするのが私にはあまりにも難しいので、いつか書きたいと思ってます)

ペンミハナ(幕張)に両部参戦、急遽バーノンうちわ買う

バーノンちゃんを糧に日々を生きる(with雑食)

エクスカリバーを観に本国へ(次書きたい本題)

セブチカムバ準備中につき雑食漁り←今ココ

 

という感じで現在に至っておりまする。

ちなみに、私のナウ雑食も紹介すると、

 

・ペンタ(キノ、ヨウォン)

・ガッセ(ベムベム)

・ドボ(メンバー覚えられてない)

・VERIVERY(ゆる本命、ヨンスン)

・アストロ(ミョンジュン)

・モネク(激浅)

・プエク(どハマリ中)

 

ほとんど宙ぶらりんですがな。

 

ちなみに上記いくつかは現場経験済なのでいつかレポ芸人したいと思っています。

 

 

 

とまあ、こんな感じで雑食しながらオタクライフを過ごしている訳ですが、私が書きたいのはオタク遍歴ではなくウリドギョミのエクスカリバーのことなんだ!!!!!!!!!!

 

ということで、語りたいことは沢山ありますが、この記事はここにて終了にします。

 

見てくれた方はいらっしゃらないと思いますが、ありがとうございました~パフパフ。